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LiSAの生い立ちが壮絶すぎ!両親離婚で極貧生活の幼少期!母親と絶縁も?

LiSAの生い立ちが壮絶すぎ!両親離婚で極貧生活の幼少期!母親と絶縁の時期も

アニメ「鬼滅の刃」の主題歌を歌うなど、華やかなイメージのある歌姫・LiSAさん。

そんなLiSAさんは実は生い立ちが壮絶

両親の離婚や極貧生活の幼少期を経験され、母親と絶縁状態だった時期もあるのだとか。

今回はLiSAさんの幼少期からの生い立ちをたっぷりとお届けします。

LiSAの生い立ちを幼少期から時系列に紹介

様々な歌番組やイベントにひっぱりだこのLiSAさんですが、壮絶な生い立ちだったことで話題になりました。

LiSAさんの生い立ちを、幼少期から時系列にご紹介します

①誕生

LiSAさんは1987年6月24日、岐阜県関市にて産声をあげました。

とてもかわいらしい女の子ですね。

LiSAさんが上京する20歳まで、岐阜県内の市営住宅で暮らしていました

②3歳から音楽活動

LiSAさんは母親の影響で、3歳からピアノを始めています。

もともと母が「自分がやっておけばよかった」と思っていたらしくて、私はただそれをやらされただけなんです(笑)。

でも、そのおかげで音楽のことがすごく好きになって、ピアノを弾くだけじゃなくて歌も歌ってみたくなったって感じですね。

(引用・ナタリー)

LiSAさんが歌にはまったきっかけは、母が進めてくれたピアノだったんですね。

4歳でミュージカル教室も

ピアノをきっかけに歌うことが好きになったLiSAさんですが、意外なことに幼少期は人見知りだったそう。

そんなLiSAさんを心配した母親が人見知りを治す為、4歳の時に地元のミュージカル教室に通わせました。

LiSAさんは家の中でマイクを持って、よく歌っていたそうですよ。

LiSAさんの母親はいつも「上手だね」と褒めてくれる、優しい方でした。

習い事は他にもしていましたが、ミュージカルが一番楽しく、歌うことがより好きになったそうです。

自身の生活に嫌気がさしていたLiSAさんにとって、ミュージカルの時間はかけがえのないものだでした。

負け始まりの人生?

LiSAさんは、ご自身の人生を「負け始まり」だと公言しています。

私は自分の人生が「負け始まり」だなって思っているので、一番最初に出てきたキャラクターとして、炭治郎(※『鬼滅の刃』の主人公)が背負った悲しみのレベルは私とは全然違うけど、負け始まりの物語として重なるなと思いながら(『紅蓮華』の歌詞を)書きました》(『SWITCH』’20年8月号)

(引用・女性自身)

スターダムを駆けあがってきたLiSAさんの姿を見ているだけに、意外な感じがしますね。

”自分の場所とか生活とか自分の置かれている状態がすごく嫌”だったという彼女にとって、ミュージカルスクールでのレッスンや、音楽を聴いている時間は、“自分じゃないものになれている時間”だったという。

(引用・女性自身)

音楽に没頭している時間こそが、「負け始まりの人生」と感じているLiSAさんの大事な時間だったのかもしれません。



②小学2年で両親が離婚

ご両親と妹の4人で市営住宅に生活していたLiSAさんですが、小学2年生の時に両親が離婚しています。

LiSAの実父は、彼女が小学2年生のときに家を出ていったという。

インタビューで《(故郷は)田んぼと山しかないところです。でも(実家は)団地だったので……》(『ROCKIN’ON JAPAN』’20年1月号)と、語っているように、彼女は20歳で上京するまで、岐阜県内にある市営住宅で生活していた。

(引用:女性自身)

家は家賃2万円の市営住宅

築30年のLiSAさんの実家

幼少期にLiSAさんが住んでいた市営住宅は、3LDK家賃2万円

当初4人で住んでいましたが、離婚を機に母親は働きにでることになりました。

小学2年生といえばまだまだ甘えたい盛りですし、妹の面倒も見なければならず、LiSAさんは寂しかったでしょうね。

③小学5年生~単身沖縄へ

SPEEDに憧れていたLiSAさんは、「沖縄アクターズスクール」のオーディションに小学5年生で合格。

LiSAさんは出身の岐阜県から、母親の知り合いである沖縄のお宅に身を預け、レッスンに通っていたそうです。

LiSAさんの母親は「自分の人生を変えたいなら」と沖縄行きを承諾してくれる、寛大な母親でした。

沖縄アクターズスクール

沖縄にある大手タレントスクール

  • 安室奈美恵
  • SPEED

など有名タレントを多数輩出

中学3年に帰郷

芸能界デビューを目標に単身沖縄での生活を始めたLiSAさんですが、14歳の時に岐阜県に帰郷。

帰郷の理由は、「デビューできなかったこと」でした。

帰郷の際、LiSAさんは母親とこのような約束をしたそうです。

そのときお母さんと“音楽で芸能界デビューを目指すことはやめる”と約束したそうです」(中学時代の同級生)

(引用:女性自身)

歌姫として大活躍中のLiSAさんですが、一度は芸能界デビューを諦めていたんですね。

④高校1年でバンド結成

LiSAの生い立ち

帰郷後、中学の先輩に卒業ライブのボーカルに誘われたことをきっかけに、LiSAさんは芸能界は諦めたものの、ロックに目覚めています。

高校入学後は、バンド「CHUCHKY」(チャッキー)を結成し、ボーカルを担当。

アヴリル・ラヴィーンなどのメロコアが多かったそうですよ。

メロコアとは

  • パンク・ロックから派生した。
  • パンクよりもメロディや歌詞を聴かせる「歌もの」よりのジャンル

LiSAさんは、高校2年の頃にはオリジナル曲を作るようになります。

必死でオリジナル曲をたくさん作ってライブをやったら、お客さんの反応がすごくよくて。岐阜だけじゃなくて名古屋や大阪でもライブをできるようになった

(引用・ナタリー)

LiSAさんの才能が開花した瞬間ですね。

大学には進まず音楽の道へ

高校時代のLiSAさんは、学校の成績も結構よかったとコメントしています。

先生には「大学に行きながらでもバンドはできるし、そのあと道を選んだって遅くないんだよ」って言われたんですけど「いや、バンドやるんで」って言っちゃってました(笑)

(引用・ナタリー)

大学進学の道も充分ありましたが、最終的にはバンドの道を選択したLiSAさん。

バンドのメンバーとして活動しているうちに、再びLiSAさんの胸に「デビューしたい」夢がよみがえってきたそうです。



⑤20歳で上京!母とは絶縁状態に

高校時代に活動していたバンドは、メンバーの進学や就職などの理由で解散。

「自分の夢はなんだろう?」と考えた時、一度は諦めたデビューの夢が再び現実味を帯びてよみがえってきたそうです。

母の反対

LiSAさんはもう一度デビューを目指して上京を決意しましたが、母は大反対でした。

「お母さんに上京することを事前に伝えていなかったそうで、賃貸マンションの保証人をお願いしたら、お母さんが怒ってしまって……。

でもLiSAさんも決意を固めていましたから、とりあえず東京で暮らしている友達の家に転がり込んで、デビューを目指したそうです」

(引用:女性自身)

母と喧嘩別れし、家族と暮らしていた市営住宅を飛び出して、単身東京に向かったLiSAさん。

「チャンスは今しかない」と思ったLiSAさんは、上京後様々なオーディションを受けながらデビューを目指しました

20~22歳極貧生活

上京したLiSAさんは高田馬場の自宅から練習スクールに通いながら、音楽活動の傍ら数々のオーディションを受けています

上京前に貯めた100万円は、引っ越しやスタジオ代であっという間に底をついたとのこと。

  • 家具は買えず、部屋には布団と段ボールのみ
  • おかずは100均で買ったなめ茸で1か月生活
  • 服を洗うのは洗濯板

かなり厳しい生活を送っていたようです。

睡眠時間は3時間

バイトと音楽活動を掛け持ちしていたLiSAさんの睡眠時間は、当時3時間ほどだったそうです。

  • アルバイト…8:00~22:00
  • バンド練習…22:00~4:00
  • 睡眠…4:00~7:00

LiSAさん、よく身体が持ちましたね。

⑥23歳でメジャーデビュー

様々なオーディションを受けては落ちてを繰り返した、LiSAさん。

上京して3年、23歳の時についに、Girls Dead Monster(ガルデモ)のボーカリスト・ユイの歌唱パート担当としてメジャーデビューを果たします。

LiSAさんの独特な歌唱力はアニメファンを魅了し、少しづつ知名度が高まっていきました。

デビュー後もバイト

ガルデモLiSAがミニアルバムのレコーディング風景を生放送 | アニメイトタイムズ

デビューを果たしたLiSAさんですが、ガルデモに出演中もバイトを続けていたんだとか。

バイトを続けながら、ツアーにも参加していたそうですよ。

LiSAさんのたくましさに、脱帽です。

24歳でソロデビュー

ガルデモの活動を終えたLiSAさんは、翌年24歳でソロデビューを果たしています。

数々のヒット曲を生み出し、2019年には鬼滅の刃主題歌・紅蓮華をリリース。

2020年には人気声優・鈴木達央さんと結婚を発表しています。



LiSAと母親の現在の関係は?仲はいい?

20歳の時上京した際、LiSAさんは母親と喧嘩別れの状態で家を飛び出しましたが、現在の関係はどうなのでしょうか?

しばらく音信不通だったLiSAさん親子ですが、突然LiSAさんにかかってきた母親の電話で親子の冷戦に終止符が打たれたようです。

母の変化

LiSAさんがレコード大賞を受賞した際に組まれた特番で、LiSAさんの母親はこのようにコメントしています。

  • 娘を応援するのは私しかいない。私が支えないでどうする。
  • 連絡してない事の方が苦しく、病気になると思いました。
  • 自分の子を信じるという原点を忘れていた。

最初は意地を張って「なんで向こうから電話してこんのや」と思っていたLiSAさんの母親。

自分の子を信じるという原点を思い出したことで、LiSAさんに和解の電話をかけることが出来たようです。

LiSAと母親の絆

現在のLiSAさんと母親の絆が見えるエピソードをご紹介します。

日本レコード大賞受賞

2020年の日本レコード大賞を「炎」で受賞した時には、LiSAさんはこのようにコメントしています。

「母とけんかをして(岐阜県を)出てきました。その時はこんな未来を想像しませんでした。こんな未来が…あって幸せです」

LiSAさんの呼吸も感激で震えていましたが、それを見ていただろうLiSAさんの母親も歓喜の涙を流していたのではないでしょうか。

徹子の部屋に母のメッセージ

LiSAさんが徹子の部屋に出演した際は、母と祖母からビデオメッセージが届き、話題を呼びました。

母:「りっちゃん、いろいろなことがあった10年だったと思います。よくここまで頑張ってきたね」

祖母:「どうもおめでとう。まだ玉ねぎ送るからね」

このサプライズ演出に感動したLiSAさんの涙が、とても印象的でした。

ブログタイトルは母の言葉

苦しい時期もずっと支えてくれたLiSAさんの母親に対して、LiSAさんはとても感謝しているそうです。

LiSAさんのブログの最後に必ず書かれている「今日もいい日だっ」という言葉は、母親が落ち込んだLiSAさんにかけた言葉だそうです。

娘想いで前向きな、素敵な母親ですね。



まとめ

今回はLiSAさんの生い立ちを幼少期からブレイクするまでを、たっぷりの画像と共に母親のエピソードも交えてお届けしました。

大ブレイクした歌姫・LiSAさんの陰には、壮絶な幼少期と、母親の内助の功がありました。

今後のLiSAさんの活躍を応援していきましょう。